東京高等裁判所 昭和26年(う)2763号 判決
刑事訴訟法第三百一条は自白を証拠とする場合については特に慎重なるべきことを要求する規定の一つである。即ち、被告人の自白に関する証拠が他の証拠に先立つて取り調べられると裁判所はその取調によつてある程度の予断或いは偏見を抱く虞があるから同条は自白に関する証拠は犯罪事実に関する他の証拠の取調が終つてからこれを取り調べなければならないことを規定しているのである。しかしながら、この規定の意味を文理的にのみ解釈すると、自白に関する証拠は犯罪事実に関する他の証拠をことごとく調べつくしてしまわなければその取調ができないことになるように解せられる虞があり、又逆にいつたん、自白に関する証拠が取り調べられた後に、他の証拠を取り調べることは、結果的に見れば、矢張り同条に違反することとなつてしまうのではないかという疑が残るのである。そこで、同条にいわゆる犯罪事実に関する他の証拠が取り調べられた後とはいかなる場合を指すものであるかということが問題になるのであるが、同条が自白に関する証拠による裁判所の予断偏見を防止せんがための規定であることは前説明のとおりであるから、他の証拠が取り調べられた後とは犯罪事実に関する他の証拠がことごとく取り調べられた後という意味ではなく犯罪事実に関する他の証拠がある程度取り調べられた後の状態をいうものと解すべきであり、又、ある程度、即ち、どの程度まで他の証拠を取り調べた後、自白の証拠を取り調べてよいかは裁判所の健全な裁量に俟つものと解するのが相当である。換言すれば他の証拠が取り調べられた後とは犯罪事実に関する他の証拠がある程度取り調べられ、それによつて裁判所の心証が一応形成される結果、その後に自白に関する証拠が取り調べられても、最早これを以て裁判所に自白による予断偏見を抱かせる虞がなくなつたときをいうものと解するのが相当であろう。以上の前提に立つて本件記録を精査して見ると、原審第三回公判期日において、検察官は証拠書類として被告人の弁解録取書一通、被告人の供述調書二通及び被告人の前科調書一通の各取調を請求し、裁判所は被告人並に弁護人の同意を得た上、右各書類全部を証拠として取り調べる旨の決定を宣し、検察官は右各書類全部を順次朗読してこれを裁判所に提出し、以て右書類全部の取調を終了したこと、並びに右各自白に関する証拠の取調終了後裁判所は検察官の請求に基き、その第五回乃至第九回各公判期日において、証人四名の取調をしたことは、それぞれ所論のとおりであるが、一方記録編綴の原審第一乃至第三回公判調書、並びに昭和二十五年十月六日附渡辺きよに対する原審の証人尋問調書の各記載を綜合すると、検察官は昭和二十五年九月九日の原審第一回公判期日において、証人として奥富伝吉、奥富義三及び渡辺きよ三名の尋問を請求し、裁判所は右各証人の尋問の請求について、被告人並びに弁護人の意見を求めた上、右三名を次回公判期日に喚問する旨の決定を言い渡し、且つ、次回公判期日を同月二十八日と指定告知し、更に右第二回公判期日において、出廷した右三名の証人中奥富伝吉及び奥富義三の両名を尋問したが、証人渡辺きよに対する証拠調の施行方法はこれを変更し、同証人に対する尋問は同年十月六日東京都台東区浅草千束町二丁目二百六十番地の同人方においてこれを為す旨の決定を言い渡し、次いで、右証拠調期日には右証人方で同人に対する尋問が行われ、その証人尋問調書が作成されたこと、及び同年十月十二日の第三回公判期日において裁判所は右証人尋問調書を朗読してその証拠調を為し、且つ、同調書を証拠とする旨の決定を宣したこと、をそれぞれ認めることができる。そして、右各調書中の右各証人の供述記載を検討して見ると、その内容はいずれも、本件窃盜の犯罪事実それ自体に直接又は間接の関連を持つものであつて、単なる犯罪の情状に関する証拠でないことが認められるのである。されば、これ等の各証拠がいずれも適法に取り調べられている以上、その後に所論自白の各調書を取り調べたからと言つて、これによつて事件について裁判所に予断又は偏見を与えたという形跡があつたとは考えられないことであり、又、右自白の各調書の取調があつた後、更に他の証拠が取り調べられたからと言つて、これが為、いつたん、適法に行われた右自白の各調書の取調が忽ち、違法のものと化する道理はないのである。所論は刑事訴訟法第三百一条の解釈につき独自の見解をとつて原審の為した適法な訴訟手続を非難するものであるから、採用の限りではない。論旨は理由がない。